赤い糸、絡まった

 眼を開けて、最初に見たのは天井だ。中学校の天井なんて初めて見たかもしれない。3年も通ったのに、まるで初めて来た場所みたいだなんて、呑気な感想が浮かんだ。
 でもまあ、そんなことを考えている場合でもない。俺は今、階段の踊り場に寝転がっている状態だ。公衆の往来のど真ん中。いつまでもノビてないで、さっさと起き上がるべき。
 何でそんなことになっているのか。ひとえに、同級生の尾野 おの紗香 さやかのせいだ。前を歩いていたあいつが、階段を踏み外して転げ落ちてきたのに巻き込まれたんだ。
 頭はガンガンと痛む。あいつの頭とぶつかったからだろう。身体も、全部痛い。
 まさか骨折してたりするだろうか。確認するのが怖くもあるけど、でも見ないわけにもいかない。
「ん?」
 俺はセーラー服を着てスカートを履いていた。何故? 俺は男だから制服はワイシャツとスラックスだし、当然今日もそれを着ていた。いつ着替えた?
「痛たた……」
 傍らで聞えた声に釣られる。そちらを見遣れば、一人の男子生徒が頭を押さえながら起き上がろうとしていた。
 というか、それは俺だ。脳が事態の理解を拒む。どうして俺の目の前に俺がいるのか。こちらを見たそいつも、信じられないといった顔をしている。
 だけどこの状況で辿り着ける結論は一つしかない。マンガじゃあるまいしと思ってはいても、叫ばないではいられなかった。
「入れ替わってる!?」


 尾野紗香と、俺こと平原圭佑は階段から落ちて身体が入れ替わってしまいました。
 そうとしか言いようがないのはそうではあるけど、じゃあ俺たちはこれから一体どうしたらいいのか。
 ひとまず人目を避けて落ち着けるところに避難しようと、2人で校舎裏へとやってきた。幸い昼休憩が始まったばかりで、時間は多少余裕がある。
 俺の身体になった紗香は、ずっとめそめそと泣いていた。
 いつもは凛と澄ましていて、納得できないことがあれば大人相手でも毅然と食ってかかるような性格。そんな気丈な奴だと思っていたから、この反応は意外だった。
 こんな訳の分からないことになってしまって、泣きたくなる気持ちは当然理解できる。
 でもそれは俺の身体なわけで、中学生にもなってさめざめと泣く男というのは、見ていて気持ちの良いものでもない。男の癖にみっともないし、ダサい。
 それに、俺の身体がそんなに不満かよという気持ちもある。
 俺と紗香は幼馴染だ。家が向かいにある。子供の頃は朝から晩までずっと一緒に遊んでいた。俺にとって紗香は家族同然で、このまま一生一緒にいるものだとすら思っていた。
 ただ結局、歳を経るごとに自然と性差も出て、一緒に遊ぶような機会も減っていった。
 寂しいという気持ちも、仕方がないという気持ちもあった。そんな割り切れない思いで、無意識にその姿を遠巻きに眺めていた。
 また一緒にいられるようになるきっかけが何かあればいいのにとも、漠然と思っていた。昔に戻ったみたいに、2人で他愛のない日常を共有出来たらなんて空想。
 そういう因縁のある相手だ。でもそれが恋愛感情なのかというと、正直よくわからない。
 でも好きな女子は誰かと聞かれたら、多分俺は紗香だと答えるのだろう。もしあいつが他の誰かと付き合い出したりしたら、きっと胸が苦しくなるとも思う。
 俺は、入れ替わったのが紗香とで良かった。
 もし他の違う誰かだったら、俺ももっと困惑していた。今の紗香みたいに取り乱していたかもしれない。
 勝手に紗香も同じ気持ちだと思っていた。
 だからあいつが俺の身体になって悲しんでいるということは、少なからずショックだった。
 むしろ俺が泰然とし過ぎか? そもそも相手が誰とか以前に、他人と身体が入れ替わってしまうというトンデモ現象に対してもっと動揺する方が可愛げがあるかもしれない。
 でも泣き喚いたところで解決するものでもないだろう。泣けば許してもらえるならいくらでも泣くけども。
 そんな風に考えてしまう。手があるなら試せばいいけど、打つ手がないならありのままの現実を受け入れて順応しようとする方が建設的だ。
 そんな達観したようなことを頭の中で宣ってみる。これ自体本心であることは間違いない。でも、その裏に別の心が潜んでいることも自覚している。
 うっかり笑みを零しそうになって、紗香に気付かれないようすぐに取り繕う。
 だってこの状況、言うなれば俺は紗香の身体を、もっと踏み込めばその存在そのものを手に入れたということじゃないか。紗香にとって、より大事なものなんてそうそうない。
 そんな重要なものを手中に収めたということは、俺と紗香は誰よりも強固な関係性で結ばれているということ。幼馴染なんて陳腐に見えるほどの間柄だ。
 夢想が現実になった。戻りたくないとまでは流石に言わない。でもこのままなら、ずっと紗香と一緒にいられる。何処にも行かない。だって紗香の身体は、俺の手元にあるのだから。
 自分の身体を見下ろす。盛り上がった胸部が目に入る。紗香の身体だ。その膨らみに手を伸ばそうとしたのは、ほとんど無意識だった。
「もう一回落ちよう!」
 突然俺に手を取られた。ぎゅっと握られる。俺になった紗香に、真摯な眼差しを向けられている。
 びっくりした。とがめられたのかと思ったこと以上に、その手のごつさと力強さに。むしろ言うべきは、今の自分の手の華奢さの方か。
 そのまま紗香に引っ張られて、また先ほどの階段へと戻った。入れ替わった時の状況を再現しながら何度も階段から落ちてみる。
 結果元に戻ることはなかった。全身を更に痛めただけ。周りの生徒の奇異の眼に晒されるわ、先生が駆けつけてきて怒られるわで散々だった。
 紗香は先生に対して、自分たちの身体が入れ替わってしまったことを訴えていた。だが取り合ってはもらえない。悪ふざけだと思われるのも普通のことだろう。
 そんなこんなでドタバタしているうちに昼休憩も終わり。日常の圧力に流されながら、紗香の身体のままで午後の授業を受けた。
 数学と国語で、ただ座っているだけで済む科目だったのは運が良かったかもしれない。体育とかだったら色々と気が気じゃなかったと思う。
 そうしてまた校舎裏。紗香はまだうじうじとしていた。呆然と座り込んで、不安げに呟く。
「私たち、これからどうなるの?」
「どうって、でも普通に生活するしかないんじゃないのか」
「お父さんやお母さんになんて言ったら良いんだろう……」
「むしろ、言うのか?」
「え?」
「信じてもらえるかわからないし、信じてもらえたとしてもどうすることも出来ないと思うぜ。それならいっそこれは二人だけの秘密にして、お互いの家族には余計な心配をかけさせないっていうのもアリだと思う」
 実際科学的にあり得ない超常現象が起きているわけで、大人に相談してどうにかなるビジョンが見えないというのは正直なところだ。
 それに、こういう場合政府に拉致されて実験動物として扱われると相場は決まっている。そうじゃなくともマスコミなんかのおもちゃにされるに違いない。
 言い広めて良いことがあるとは思えない。マンガの読みすぎかもしれないが、そこには確信めいたものがあった。
 ただ一方で、二人だけの秘密という言葉に下心を感じているのも否定はできない。俺たちの関係をより確固たるものとするからだ。
「そんな。誰にも相談せず別人として生きていくなんて」
 真っ青な顔をして紗香は言う。俺の顔ながら、心配になるほど血の気が引いている。不安で押し潰されそうなのだろう。
「幸い俺たちは一人ボッチじゃない。お互い同じ境遇なんだから。助け合うことができる」
「でも……」
「俯いてったって仕方ないよ。それでも前を向いて生きていくしかないんだから」
 今の俺に言える精一杯の慰めの言葉だ。手の施しようがないのだから、せめて明るく小さな幸せでも拾い集めて前向きになるしかない。それは真理だろう。
 紗香は押し黙ってしまう。無表情で額を押さえている。深く思考を巡らせているようだった。そのままとうとうと時間が流れていく。
 俺はぼんやりとしながら、紗香の考えがまとまるのを待つ。長い髪がさらさらと頬に触れるのが気になって、耳に引っ掛けた。
 三角座りで、脚が見えないよう膝の上までスカートを引っ張っていたから、テントでも張ってるみたいになっている。ももの裏の辺りに空気の滞留を感じる。新鮮な感覚だ。スカートなんて今日初めて履いたから。
「そんな座り方してたらパンツ見えるよ」
「え?」
 陽が傾き始めたころ、不意に紗香にそんなことを言われる。思わず面食らってしまう。紗香は不服そうにムスッとした表情をしていた。しかし、ある種覚悟が決まったような顔だ。
「それより、トイレに行きたいんだけど。おしっこの方」
 続けて言われた紗香の言葉に、また俺はきょとんとしてしまう。
「行けばいいじゃん」
「男子ってどうやってしたらいいのさ」
「別に普通に立ってしたら」
「普通がわかんないって言ってんの。もう」
 呆れたように嘆息された。確かに、言われてみれば男子の常識は女子の非常識か。逆も然り。当たり前としか言いようがない事でも、当たり前ではない。
「だから便器の前に立って、社会の窓開けて中から引っ張り出してそれで出せばいいんだよ」
「社会の窓って何?」
「適当で良いよ。出来る出来る」
 なんか面倒になって、紗香の背中を押してそのまま男子トイレに押し込んだ。どうせやってみればわかることだ。
 最寄りだったこの体育館横のトイレは、便利が悪いし狭いし汚いからあまり人も来ない。特に問題も起こらないだろう。
 ただよく考えたら、紗香に俺のチンコを見られることになるということに遅ればせながら気が付く。あまつさえ触られもする訳で、それは流石に恥ずかしい。
 しかしだからと言って、止めさせる訳にもいかない。目隠しでもさせて俺が介助するべきだったかと思っても後の祭りだ。
 むしろ元に戻る手段がわからない以上今後入れ替わって生活することになるのだから、この程度の事で騒いでいたら身が持たないという面はある。トイレなんか一日に何回行くということもない。
 それこそ必要なのは順応だ。騒いだって始まらない。入れ替わっている以上、あれは俺の身体ではなく紗香の身体。紗香の身体を紗香がどうしようと紗香の勝手だ。そういう精神でいるべきだろう。
 そうしてしばらくすると、紗香がトイレから出てきた。どこか釈然としない表情。
「大丈夫だったでしょ?」
「男子って、おしっこした後どうやって拭くの?」
「拭くって?」
「立ちションの横にトイレットペーパーとか置いてなかったんだけど。仕方がないからぶらぶらさせたまま個室の方まで取りに行った」
 言ってる意味が分からない。思考がぐわんぐわんと回るのを感じる。どういうこと? 逆に女子っておしっこしたら拭くってこと? 小なのにわざわざ。そんなことあるのか?
 少し反省する。あくまで同じ人類と高を括っていたけど、実際に異性として暮らそうと思えば大小様々に違いがある。ちょっと想像力が足りていなかった。
 それからはまた校舎裏で腰を下ろして、微に入り細に入りお互いの知識を交換した。男性女性としての常識だけでなく、晩御飯がいつかや何時に起きるかみたない個人的な情報も。
 結局のところ、入れ替わったことは二人の胸に留めて日常に戻ろうという考えは一致した。紗香もそれが良いと結論したようだ。
 本人によってもたらされる紗香のプロフィール。誰と仲が良くていつもどんな話をするか。普段家ではどう過ごしているか。生々しい質感を伴っていて、図らずも胸が躍るようだった。
 まさしく尾野紗香という人間の引継ぎを受けているに等しい。紗香の全てを手に入れたように思えた。
 ただ実際のところ、正しくは共有と言うべきではある。
 他人の身体になったとしても、自分の人格が継続している以上完全に成りすますことはできない。
 逆に他人の身体であるしいつか元に戻るかもしれない以上、完全に自分の意思だけで生きるわけにもいかない。そういう中途半端な存在になってしまっている。
 お互いに人生を預け合うようなもの。人生の重要な場面であるほど、元々の持ち主の了承なしでは決められないだろう。
 入れ替わっている限り俺と紗香はずっと一緒にいるしかないということで、それはもう結婚しているようなものでもある。
 もし万が一入れ替わった状態で他人との間に子供が出来るようなことになったら、俺の遺伝子を引き継いでいないその子を本当に自分の子供と思えるかは怪しい。
 でも俺と紗香とで子供が出来れば、それは遺伝子的にも精神的にも間違いなく俺の子供と言える。入れ替わりなんて事が起きた以上、入れ替わった者同士で結ばれるのが諸々を考えても最善策だ。
 ちょっと飛躍し過ぎかなとは思う。でも別に俺はそれで全然良い。
 紗香とは小さな頃から一緒に過ごしていたんだし、今後ずっと一緒にいることになっても違和感はない。むしろ添い遂げるなら相手は紗香が良い。安心感がある。
 そうやって日が暮れるまでお互いに話をした。一緒に遊んでいたあの頃みたいで、楽しい時間だった。名残惜しくはあるけど、いつまでもここにいるわけにもいかない。
 一緒に帰る。下校中もずっと会話していたけど、それでもまだお互いの理解には全然足りている気がしない。二人ともスマホは持っていたから、最悪それで乗り切るしかないだろう。
 家の前。別れ際に俺は紗香に手を差し出した。握手だ。数奇な因果ではあるけど、これから俺たちは運命共同体となる。改めてよろしくという意味だ。
 紗香は最初は不思議そうな顔をしていたけど、やがて俺の手を取った。がっしりと力強く手を組む。俺たちの新たな関係が、ここから始まる。
 そうしてそれぞれ相手の家へと帰宅した。


 紗香の家には昔はよく遊びに来ていた。懐かしさがある。記憶とほとんど変わっていない。間取りは大体知っているし、家族の顔と名前もわかる。
 家ではたいてい自分の部屋で電子ピアノを弾いて過ごしているそうだ。昔からピアノ教室に通っていたことは知っていたけど、まだ続けていたとは。
 これが難儀なところではある。俺はピアノなんか触ったことがない。練習したところで本来の紗香の実力に追いつけるはずもない。入れ替わっている限りは、ピアノは辞めるしかない。
 音楽家の家系とかではないのが幸いだ。あくまで紗香が個人的に好きでずっと取り組んでいるだけ。急に辞めても、変に思われることはあっても強制されたりすることはない。
 もう一つ、ある意味好都合なのはずっと一人で部屋にいることだ。
 呼ばれても聞こえないから、晩御飯や風呂は決まった時間になったら部屋から出てくるルール。つまり基本的に家族が部屋に来ることがない。
 部屋に入って荷物を置く。スタンドミラーに自分を映せば、そこには紗香が立っていた。
 まじまじとその姿を見る。目に焼き付けるように。ずっと視界の端で追っていた紗香の姿を、正面から堂々と。
 思わず息が漏れた。感極まるような思いがある。このまま離れて、二度と交わることはないんだろうなと心の隅で覚悟していた。そんな紗香が、今手の届くところにいる。
 鏡の中の紗香に手を伸ばそうとして、止める。それは虚像に過ぎないから。本物は視線の先ではなく たもとにいる。
 自分の身体をそっとぜる。柔らかい。紗香の体温と息遣いを感じる。生唾を飲み込んだ。
 セーラー服とその下に着ていたシャツを脱いで、スポブラだけ身に着けた姿となる。
 想像していたよりも胸はちゃんと成長していて、うっすらと谷間も形成されている。
 自分の胸を手で包み込んだ。膨らんだ乳房の形がわかる。そこには紛れもなくおっぱいが存在している。
 この身体が立派な女性のものであるという事実に、脳天を直撃されたような衝撃が走った。
 その驚きは、俺の身体が女性のものになっているということに対してでもあるし、紗香の身体が女性のものとしてほとんど完成しているということに対してでもある。
 衝動的にスポブラも脱いだ。胸元からなだらかに曲線を描いて半球型に丸まる乳房に、ぴんと立った乳首と控えめな乳輪が目に入る。
 くらくらした。こんなにがっつり女性の裸を見たのは実は生まれて初めてだ。
 それに、女性の裸としか表現しようのない身体に、見知った紗香の頭が付いているというギャップを受け止めきれない。
 ふと、こんなことをして良いんだろうかという懸念が脳裏を過った。キャパオーバーした故の思考放棄でもある。ただ、普通に考えたら、同級生の女子の裸を勝手に見るのは犯罪なのは間違いない。
 でも今は普通の状況ではない。何しろこの女体は、俺の意思に従って動く俺の身体になってしまっているのだから。
 それに紗香だって、既に俺のチンコを見ているし、向こうも俺の身体を自由にできる状態になっているのだからおあいこだ。今頃シコってたっておかしくないだろ。
 ちょっと興味が湧いて、俺はスカートも脱いだ。更に下に履いていた体操服のズボンとパンツも脱いですっぽんぽんになる。
「チンコ付いてないって、こんな感じなんだな」
 何もないなだらかな下腹部をぐるぐると撫でる。感心のあまり、ついつい思ったことを口に出してしまう。見慣れた竿と玉がないせいか、随分広々としているなという印象を受けた。
 しかしさて、これってチンコが挿入 はいるところは何処なんだろうか。恥丘のあたりを弄ってみても穴らしきものがない。
 もっと股下の方なんだろうか。丁度手元に卓上鏡もあったので、それを使って映してみようと試みる。立ったままだとやりにくいので尻もちをついた。
「うわっ、えーこんな風になってるんだ」
 股の下に2つの肉の盛り上がりが見えた。唇に似ているそれは、陰毛に覆われて黒々としている。
 おっぱいと違って、それほどテンションの上がるビジュアルはしていない。ただ物珍しさに感嘆することしか出来なかった。
 ふと姿見の方へ視線を戻せば、全裸で座り込んでおっぱいをぷらぷらさせながら自分の陰部を鏡で確認する紗香の姿が目に入った。
 なんだか間抜けに見える。俺がやらせてる行動なのだからそういう感想を持つのは失礼ではあるけれど。
 でもある意味、紗香という存在が俺のものになったということは実感できた。どんな行動でも取らせられるし、どんな恥ずかしい所でも見れる。
 それに、これが紗香なんだと理解した感じがする。さながら開封の儀を済ませたかのような、これから俺はこの身体を使って生きていくということが腑に落ちたように思えた。
 なんとなく気になって、俺は握り拳を股下の割れ目のところに当てがってみた。
「赤ちゃんってこっから出てくるんだよな? え、無理じゃね? もっと小さくないと。でもそもそも赤ちゃんってこんなに小さいか? 逆にもっと大きそうなもんだけど」
 女になったからにはやがてやって来るその瞬間に思いを馳せる。スイカが出てくるような痛みと聞いたこともある。
 その時はへーで済ませていたが、自分事となると動揺が隠せない。端的に怖いし、正直言って嫌だと思った。
 でも元々は自分のお嫁さんには子供を産んでもらうつもりだったわけで、いざ自分が産むことになったら怖気づきましたでは格好がつかない。男として情けない。
 覚悟を決めなければ。そもそも世の中の女性達はそれを乗り越えて出産をしているのだし、今の俺の身体もれっきとした女性なのだから何とかなるように出来ているはずだ。多分きっとおそらく。
「ま、ドンと来いだ」
 威勢よくお腹をポンと叩いて見せる。カラ元気だ。でも入って来るのは俺の精子なのだから、俺が責任を持って受け止めるべきではあるだろう。
 それに女性と言えば生理もあるはずだ。その話は紗香からまだ詳しく聞いていないけど、しんどいらしいことはなんとなく知っている。
 そういった女性特有の大変さも、今後は俺が引き受けることになる。暗澹 あんたんとした思いもあるけど、そこは紗香のためと思って飲み込む。
 尾野紗香の人生を預かった者として、あいつに恥じないよう、納得できるよう代わりにしっかりと尾野紗香として生きてやらないといけない。その決意をする。
 それはそれとして、見返りが欲しくなるのも人情ではあるだろう。この身体は今後は俺が管理していくのだから、触らせて貰うぐらいの役得はあってもいいはずだ。
「おおう」
 紗香のおっぱいを揉む。これまで経験したことがないほどのぷるんぷるん加減。なんて心地よい柔らかさだろうか。
 興奮する。シコりたい。なにせ目の前に全裸の女子がいて、そのおっぱいを揉ませて貰っているわけだ。オカズとして豪華すぎる。
 それなのに、生憎とこの身体には扱ける肉棒が付いていない。疼きだけお腹の中で渦巻いていて落ち着かない。代わりに恥丘の辺りを捏ねてみるけど、あまり意味を感じない。
「女子ってどうやってシコるんだろう? そもそも、するのか?」
 流石にそんなこと紗香からも聞いてない。女子ってエロが嫌いなイメージあるし、もしかしてオナニーって男しかしないんじゃないだろうか。
 もしそうならちょっと困る。女の身体に男の精神が入ってしまっているせいで、本来なら女はしないはずの自慰がしたくなってしまっているのは、バグじみている。
 そんなことを考えながら、股下の方へと手を伸ばす。ぐりぐりと女性器を弄っていると、なんとも言えない感じがお腹の中から湧いてくるのを感じる。
「あっ!」
 不意に身体がきゅっとなった。思わず声が漏れてしまう。その感覚の正体は、確信は持てないけど性感だと思う。性器がもたらす快感だ。
「え、これで良いの? え、これで良いの?」
 男の時と違って、がっと快感が高まるような感じじゃない。じんわりじんわりと微温い気持ちよさが全身に広がっていくようで。身体中が蕩けていくみたいだ。
 体感が違い過ぎて正しいのか間違っているのかわからない。それでも紗香の身体から滲み出す快楽に、女性器を まさぐる手を止められない。
 上半身の方も切なくなってきて、おっぱいも一生懸命に愛撫してみる。ほとんど本能的な行動で、身体にやらされているみたいな感覚だ。
「これが、紗香なんだっ。んっ、んっ」
 夢中になって喘いだ。紗香から与えられる快楽に。
 そしてそれは、紗香に与えている快楽でもある。もっと侵して欲しいという気持ちと、もっと侵してやるという気持ちが両方あった。
 内からも外からも、尾野紗香をしゃぶり尽くして、そして一体化していくみたいな感覚だ。
「紗香は、もう俺のものだぞ……」
 自分でも信じられなかった。 うちから劣情がどんどん溢れてくる。溜めて隠して蓋をして、知らないうちにこれほどの量になっていたなんて。
 紗香を俺だけのものにしたい。何処にも行って欲しくない。それが俺の本当の気持ちだった。
 奇しくもその想いは叶った。入れ替わったお陰で、身体は俺の物となり、心は俺の身体に縛り付けられたのだから。
 どろどろと、汚れた愛慕をこの身体に塗りたくって染上げるように攻め立てる。この紗香の身体は俺の物なのだと刻印するかのように。
 こんな感情を紗香が受け止めてくれる未来なんか、本当は存在しなかっただろう。
 でも今なら、どんな想いでも紗香に受け止めさせることが出来る。紗香の身体はすべて俺の意思に従って動くのだから。
 そうやって一晩中、俺は紗香の身体を思いつく限りの方法で穢し続けた。尾野紗香という存在は、完全に俺のものになったのだと噛みしめるように。
 
 
 それから、プロフィールの教え合いと近況報告を放課後の校舎裏でするのが俺たちの日課になった。
 それにネットや漫画で見た入れ替わり創作を参考に、元に戻る方法を色々試してもみた。
 結果は効果なし。元には戻れないまま。試していないのは後はセックスくらい。でも提案する勇気はまだなかった。処女喪失も痛いらしいし。
 紗香としての生活は、それなりに楽しかった。生理の時は地獄を見たものの、女子とファッションや恋愛の話をするのは面白かった。女子更衣室への進入も楽しみにしていたけど、皆隠しながらさっと着替えていて期待外れだったのが残念だ。
 俺になった紗香の方も、男子の生活を満喫しているようだ。ただ、どうしてもピアノだけは続けたかったらしく、俺の代わりに教室へ通い出した。俺の親が良く許可したなと驚いたけど、大分根気よく説得したらしい。
 一方で俺の得意と言えば勉強だった。特に夢や目標はないが点数だけは取れる。定期テストは上位5人が公表されるシステムだけど、全教科のトップを尾野紗香の名前で揃えた時は誇らしかった。
 やはり性格は真似られても、技能の部分は誤魔化しようがあまりない。突然勉強できるようになったけどピアノが弾けなくなった紗香と、勉強できなくなってピアノを始めた圭佑を見て、まるで入れ替わったみたいだねと皆に茶化された。
 実はそうなんだと冗談めかして認めてみたこともあるけど、流石に真に受ける人はいなかった。悲しくもあるが、俺が紗香であることが認められているようで嬉しくもあった。
 そんな風に、入れ替わった状態に適応しながら月日は流れる。もうすぐ年末。入れ替わったのは二学期の頭だから、3か月以上が経ったことになる。
 ここのところ天気が悪い。今日も昼間だというのにどんよりと暗い。午後からは雨も降るらしい。まるで俺の心情を映すようだ。
 最近の俺の悩みは、紗香が放課後の情報交換をすっぽかすようになったことだ。
 確かにもうほとんどの事は聞いたし体験もしたので、交換する必要がある情報は近況くらいだ。
 それもそれで、今日俺が尾野紗香としてどんなことをして過ごしたのか、その話をしてもあいつは興味なさげにすることが増えた。
 どういうつもりなんだろうか。確かにもうお互いに男性女性としての振る舞いが板について、特に心配もない。とはいえ、自分の身体がどう使われたのかは関心事のはずなのだが。
 そんな悶々とした気持ちで一日を過ごして、いよいよ放課後だ。当たり前のようにそのまま帰ろうとする紗香を教室の出口で捕まえて、校舎裏へと誘った。
「ゴメン。今日はピアノ教室あるから」
「別に話をする時間はあるだろ。最近どうしたんだよ。近況報告全然しないじゃん」
 そう言うと紗香は少し眼を伏せた。それから意を決したように顔を上げて、力強い視線でまっすぐに俺を見てくる。
「そのことなんだけど。というか、流石に報告しないといけないなとは思ってたんだけど」
「何だよ」
「私、県外の音楽科のある高校へ進学する。どうしても、私は音楽がやりたいから」
「は?」
 そうとしか言いようがなかった。意味が分からなかった。紗香が何を考えているのか。ぐらりぐらりと、足元の岩盤が揺れているような感覚に見舞われる。眩暈がする。
「俺は、どうしろって言うんだよ……?」
 かろうじて繰り出せた言葉はそれだけだった。紗香は少しだけバツの悪そうな表情を見せる。
「圭佑も、自分の好きなように生きて欲しい。女の身体なんか嫌だと思うけど、その身体はもう圭佑のものだから。だからもう、近況報告は必要ない」
「これはお前の身体だろ!」
「でも元に戻れないじゃん!」
 声を張り上げそうになる。そこを紗香に強い調子で制された。紗香は大きく息を吐いて、平静を保とうとしている。そして続ける。
「もう『俺』たちはきっと元には戻れない。お互いにこの身体で生きていくしかないんだ。理不尽だけど。でも『俺』は、こんな理不尽には負けたくない。自分の夢は諦めない。だから『紗香』も、こんなしがらみから自由になるべきだ」
「ふざけるなよ……」
 俺は紗香に縋りつき震えながら絞り出す。それでも紗香は揺らがない。
「ふざけてなんかない」
「勝手に諦めて、俺の身体を、人生を持ち逃げするつもりかよ」
「それは、お互い様でしょ。あんたは代わりに尾野紗香の人生を得ているんだから。どっちが悪いわけでもない。元に戻ることを諦めたくもないけど、でも進路も選ばなきゃいけない。私は、夢を諦める方が耐えられない」
「認められるかよ!! 俺たちはお互いに中身と身体がちぐはぐになってしまった存在だぞ。2人で1つだろ。2人揃って初めて、俺たちは平原圭佑と尾野紗香でいられるんだよ」
「そんなことない。『俺』は私だし、あんたはあんただよ。たとえ身体が違ったって」
 はっきりと、紗香はそう言う。返す言葉が出てこない。心がグズグズになるようだ。自分の手が、信じられないほど冷たくなっていた。
「そんなの、受け入れられるかよ……」
「そうやって嘆いてたって仕方ないじゃないか。それでも前を向いて生きていくしかないんだから」
 その言葉に、身体中全ての毛穴が開いたみたいな感覚に襲われた。
 何で紗香はそんなに前向きになれる? 他人と身体が入れ替わるなんて馬鹿なことになっているんだぞ。傷を舐め合って、慰め合わないで耐えられるわけがない。全ての過去の喪失と、まるで望まない前途に。
「俺は、お前と一緒にいたい。俺はお前の事が、好きだから」
 あらゆる思いをその言葉に乗せて吐き出す。恋愛感情なのかどうかは結局今でも整理は付いてはいないけど、紗香に俺の人生から消えて欲しくないという一心で。
 そもそも紗香とずっと一緒にいられると思ったから、こんな入れ替わりなんてものを受け止めていられたんだ。
 そうじゃなくなるなら、今後他人の、しかも異性の身体で生きるって、一体何だそれは? 何の冗談だ。訳が分からない。
 縋るように紗香の手を取る。繋がっていたくて。ちゃんと繋がっていることを確認したくて。
 その手を、紗香はそっと外した。
「ごめん。そういう対象としては見れない」
「えっ?」
 そして去っていく。申し訳なさそうな顔はしていた。でも確固たる足取りで。俺はその背中をただ見送ることしかできなかった。
 不意に窓ガラスに映る、青白い顔をした女の姿が見えた。これは誰だろう。ぐにゃっと世界が歪んで、ふらつく。
 思わず座り込んだ。すねの素肌が床に触れて冷たい。おかしいな。何で俺は男なのにスカートなんて履いてるんだろう。着ているのも女子のセーラー服だし。
「紗香? どうしたの? 大丈夫?」
 女子が駆け寄って来て、俺の背中を擦っている。でも違う。なんでそんな名前で俺を呼ぶ? 俺は紗香じゃない。
 呼吸が早くなっている。でも吸っても吸っても酸素が入ってきている感じがしない。苦しくなるばかり。涙がボロボロと溢れている。
 紗香のためだから、あいつの人生を預かってると思ったから、辛い生理にも、性的な視線を向けられる不快感にも、面倒な女子同士の付き合いもこなしたのに。
 あいつがこの身体に関心を失ってしまったら、俺はいったいなんのために。どうして。
『それでも前を向いて生きていくしかないんだから』
 その言葉がリフレインする。耳を塞ごうとして、そのまま頭も抱えてうずくまる。嗚咽は自然と、そして止めどなく漏れ出していく。
 紗香を繋ぎ留められないなら、こんな身体に一体何の意味があるんだ。何で俺がそんな身体で人生を歩まないといけないんだ。
 他人の女の身体で生きるなんて嫌だよ。


 10年が経った。12月。今日は曇りだけど、雨が降る気配はない。気温もこの時期にしては高い方。
 駅を歩いていると、ふと脇の壁に貼ってあったポスターに気づいた。『世界的ピアニスト 平原圭佑 凱旋コンサート』。そんな文字と写真が載っている。
 久しぶりに顔を見た。自分の記憶とは随分変わっていて、辛うじて面影がある程度。
「ピアノコンサートか。でもチケット完売ってシールが貼ってあるね。そう言えばこの人って、この街の出身なんだったっけ?」
 隣を歩いていた彼もポスターを見て尋ねてきた。それに、そうだよと答える。
 『私』はそっとポスターに触れた。壁面から冷たい感触が指先に伝わる。
 その時反対の手を彼が握ってくれた。かっしりと指を絡ませる。温かい。
「寒くはないか? どこかで休憩するかい。無理はするなよ。大事な時期なんだから」
 彼の言葉に、『私』は微笑んだ。心配性だななんて思いながら、そっと自分のお腹を擦る。
「うん。大丈夫」

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